●生い立ち
三輪田米山(みわだ べいざん)
1821年、日尾八幡神社の神官、三輪田清敏の長男として生まれる。
本名は常貞、幼名は秀雄、号を米山と称した。
17歳のころ書を志し、はじめ日下伯厳(くさか はくがん)の書を学び、その後、彼が手本としていた僧明月の書が王義之の書法を習ったものと知り、鷹子村庄屋、乃万家にあった王氏の法帖をならい、独自の書法を極めた。
41歳で自社の幟を書き、その雄大で力強い書が評判を呼んだ。
59歳で隠居し、自社の注連石に「鳥舞 魚躍」、神名石に「県社日尾八幡大神」を書き名声を不動のものとした。以後、次々と依頼が寄せられ、松山近郊には数多くの石碑が建てられた。祭の時に立てられる幟にも米山の手によるものが多く残されている。
酒をこよなく愛し、斗酒なお辞せず、酒至って後、筆をとったと言われる。
1908年(明治41年)88歳で逝去し、墓は日尾八幡神社の東方、浄土寺にある。 墓標の文字「米山三輪田先生墓」は生前、弟子にせがまれ米山自身が書いたものと言われている。 |